激高仮面 ( げっこうかめん )

時々、激高して書く仮面ライター 

誰も言わない大谷翔平選手のこと

 大谷翔平、子どもから高齢者まで誰もがというほどよく知っている、そして何をやっても高評価される、こんな人物はかなり珍しい。そういう私も、エンジェルスの試合の放映に合わせた暮らしになったり、投打の二刀流の日などはいつトイレに駆け込むか、そのタイミングをはかっていたりする始末だ。特に外出を止められたコロナの陰鬱な日々は、彼の特大ホームランにどんなに元気づけられテンションアップさせてもらったことだろう。

 そんな彼だから、否定的に書かれたり、報道されたりすることがない。そうだろう、WBCでもメジャーリーグでも対戦する選手すら何か言葉を交わしたくて笑顔で寄ってくるくらいなのだから。

 そういえばWBC参加の時のことだ。ダルビッシュ選手に続いて大谷選手もプライベートジェット機で日本にやってきた。おう、すごいなあ、日本のスポーツ選手もこんなことができる時代になったのかと思った。大谷選手の乗ってきたジェットはダルビッシュ選手のより少し大きめ、もしかすると鈴木誠也選手(直前の怪我で辞退)と一緒に来る予定だったのかな。一般の飛行機では周囲の大騒ぎもあるだろうし、それは自分だけではなく乗客の方々への配慮も必要だったのだろう、と考えていた。

 でもね、こんな思いが出てきたんだ。

 あのプライベートジェットって、どれだけガソリンを消費してどれだけ二酸化炭素を排出するのだろう?

 以前だったら大金持ちのセレブが自分の金で支払うんだからな、なんて思って終わりだったろう。だが今は深刻な地球温暖化、そしてSDGsの時代だ。アメリカでは有名な大富豪やプロボクサー、ラッパーなどのプライベートジェットの使用が非難されている記事をみかける。中には10数分で行ける距離でも使用していたりするそうだから。

 飛行機の移動は多くの二酸化炭素を排出する。飛行機の大きさにもよるが、一人が1年間に排出する二酸化炭素を40分の飛行で排出するくらいという記事もある。富裕層の二酸化炭素排出量が多いことは知られていたが、超富裕層になるとさらに大きな数値になる。世界でわずか1%の超富裕層は、一人当たりの排出量はパリ協定の目標の30倍で、1990年には世界の総排出量の13%、2030年には16%を占めるそうだ。

 さらに近頃は民間の宇宙旅行なるものがある。超富裕層が11分間飛行すると、貧しい10億人が生涯排出する量を超えるとのこと!!!

 気候変動対策としてSDGsが盛んに叫ばれ、私たちには次のことが要求されている。

 ①節電・節水 ②食品ロスをなくす ➂ゴミ減量・分別 ④ペーパーレス ⑤再生エネルギー使用 ⑥車の移動削減 ⑦マイバック・マイボトル使用 ⑧簡易包装 ⑨必要以上に買わない・・・等々。

 私たち庶民の一生懸命でつつましやかな努力と、富裕層・超富裕層の行動とのこの大きな落差は何だ!

 SDGsは豊かな人から、豊かな国からまず始めよ、と叫びたい。

 プライベートジェット使用、再考の時かもね、大好きな大谷選手も。

ハガキの名文コンクール

 これはコスパがいい!と思った。63円で100万円がもらえるというのだから。63円とはハガキ代だ。それだけの出費で、当選すれば100万円の大金がもらえるらしいのだ。面白半分、だが100万円につられて意欲は十分だ。ハガキの名文コンクールというのを見つけたのだ。

 勿論、本気で100万円なんて考えられないが、おもしろそうだ。別に「名文」と思って応募するわけじゃないから気は楽だし、賞金目当てという邪心なので、〝自信満々〟ではなく〝邪心満々!〟だ。

 奈良県御所(ござ)市に一言主(ひとことぬし)神社があるという。古事記日本書紀にも記述がある由緒ある神社で、ここの神様は一言の願いであれば何でも叶えてくれるというのだ。1枚のはがきに 1 つの願いを書いて、神社近くの郵便名柄館に送るのがこのコンクールのルールで、選者はあの五木寛之氏等だ。ありがたいことに、一言主神社宛の願いは神社で祈祷していただける。しかも五木氏が私の迷文を読んでくれるなんて、それだけでいい。

 さあて、私の一言の願いは何だろう?と考えた。 皆さんならどんな願い事をするのだろうか。

 前年の大賞(100 万円)は福岡県の51才の女性だ。

 「お父さん、6月13日のレシート捨てれないの。だってこの日は、入院の知らせがあった日でお父さんの体調も知らず呑気に夕飯の買い物をした最後の日だから。私 このレシートの時間に戻りたい。そしたら子供達と一緒に飛行機に飛び乗って会いに行けるもの。この時は、お父さん生きていたでしょ。十日で逝ってしまうなんて思わなかった。このレシート捨てれない。 お父さんの時間と私の人生の重なった部分への切符みたいで。会いたいよ。」

 心にグッときた。これは大賞だ。レベルの高いコンクールだと知った。今更ながらだが。しかし、こんなに心からの文章は書けない。 何しろ私は「激高仮面」のライターを名乗っているくらいなのだから。ええい、ままよ とばかりに書いて送った。

 それが、〝ジャンプがしたい〟というどうでも良い変な願いだ。変な願いが良かったのだろうか、応募27000 通から最終候補の 131 に選ばれたと連絡が来た。 ジャーン! 大賞100万円獲得!……

 と、ここでこう書けたら、激高仮面の株が上がりますねえ。残念ながら (でもないか)、候補どまりで入賞はしなかった。でも、ご褒美に私の文も掲載された本『ハガキの名文コンクール第5回優秀作品集』(NHK出版)をいただいた。

 小学生の時、私は作文が苦手だった。忘れもしない、1年生の時の初めての授業参観は作文の授業だった。優しい女性の先生が、今日は「文を作って書きなさい」とおっしゃった。まだ、素直でぼうっとして育った私は〝作文〟というものを知らなかったし、この「文を作る」の意味がわからなかった。「文を作る」という言葉に引っかかり、授業の大半の時間を考え続けて「文を作った」。つまりお話(物語)を作ったのだ!? すごく集中してお話を考えて書いたからか、今でもこの時の戸惑いと必死な時間を覚えているのだ。

 高学年の担任は、綴り方教育で有名だった無着成恭氏と日本作文の会というのを立ち上げた熱心な先生だった。そして毎日、日記を書いて一週間ごとに提出するように言われた。これが苦痛だった。私は提出前日に一週間分を思い出しながらごまかすように数行だけやっと書いて提出していた。表現の上手な友達の日記は取り上げられて紹介されたが、私の数行の日記は一目見て、一週間分をためて書いたものとすぐわかるものだったから先生のお目には留まらない対象外だった。

 それでも一度だけ、母の日の作文 が全国の作文の中から選ばれて、NHK のラジオ放送で読まれたことがあったが、ラジオを聞きながらそれほど嬉しくもなく、書くのは相変わらず苦手だった。

 書く苦痛がなくなったのは、高校か大学からだ。高校生時代にバスケに熱中して体を壊し長く療養生活をした時に本ばかり読んでいたことと、読書家の友人と親しくなり3人で交換日記ならぬ交換読書感想文や、文通をたびたびしていたことが影響したと思う。それは、友人の文章のレベルの高さに気付き驚いた頃だ。

 私が良い文章だな、上手だなと思うのは、正直で、心に刺さる文だ。「へえ、そうなの」と読み進めるものより、少し毒のある文の方が好きだ。逆に、書きたくない文章は、毒にも薬にもならない文、忖度文、ことさらの難文、漢語やカタカナ言葉で目を眩まそうとする文だ。 

 さて、この年のハガキの名文コンクールの大賞は、大阪の11才の男の子だった。この文を読むと、自分が入選しなかっことに大納得した。

 「うちの母さんは何でもぼくの教育につなげようとします。ありとあらゆる事がそうです。ぼくに楽しい事をさせてくれるのも勉強をビシバシやらせるための作戦だと思います。こんな母さんでも好きですが、何でも教育につなげる事は欠点だと思います。もっと教育とは関係なくたっぷりと好きな事をやらせてほしいです。もっともっと、夏休みでも、もっと自由になりたいです。この願いがかないますように。」

 この子が受賞後にコンクール事務局に送った手紙も本に掲載されていた。これまた正直な名文だった。 

 「書く」は人だけが持つ文化だ。続けたいと思う。

かわいそうな 2000円札

〝やりっぱなし施策〟こう呼びたくなるものが、日本の政治にはある。

 始める時は声高アピール、うまくいけば自己顕示、うまくいかねば知らん顔、というパターンだ。そのうちの一つに、あの2000円札がある。一時はもてはやされたが今じゃ忘れられたかのよう、見かけることもなく話題にもならない。〝ああ、そういえばあったな〟程度かも。でも覚えていますよね。皆さんもどこかにしまいこんで、お持ちかもしれませんよ。 

 1999年小淵恵三首相の発案、翌年2000年の森内閣の時に発行されたのが2000円札だ。沖縄サミットと西暦2000年がきっかけだった。発案時は、便利で数多く流通されると見込んでいたのだろう。当時は大きなニュースだった。アメリカの20ドル紙幣の真似もあったらしい。

 このお札は沖縄サミット記念の意味もあり、首里城守礼の門が描かれていることはよく知られている。沖縄県では他県と違い2000円札を使える自販機が多く、ATMでの引き出しの際も「2000円札不要」のボタンを押さないと2000円札が出てくるそうだ。このように沖縄県では流通の工夫もあり、普通に流通しているという。

 しかし、この紙幣は2000年度と2003年度に製造されただけ、その後の製造はない。つまり他県では使われない、流通していないということだ。全国で10億枚の流通を予定していたが10分の1ほどに留まり、2010年頃からは日銀金庫に大量に保管状態になっているそうだ。

 このことに対しての政府なり、日銀なりの見解はあったのだろうか? 私は見聞きしたことがない。もし、なかったのなら、ホラネ、総括なし・反省なしの知らん顔の〝やりっぱなし施策〟でしょ。

 2000円札守礼門が美しく描かれ、最新のニセ札防止の高度な印刷術を駆使した紙幣だ。日銀保管の紙幣、2000円札をこれからどうするのだろうか。

 こんな替え歌があるのでご紹介する。

 

不祥事上書き時代、東京汚リンピック等々・・・

 あの東京オリパラは、選手達の清々しい活躍とはうらはらに、残念ながらなんと“ダサい”祭典になってしまったのだろうか。

 国立競技場建設問題、エンブレム問題、会長の女性蔑視発言、閉会式問題、「コンパクト五輪」「復興五輪」「アンダーコントロール」等のインチキ言葉・・・ 

 追い打ちに多額の汚職が明らかになった。コロナ下で「安心安全」とやけに叫び、どうしてもオリパラを強行する姿勢が尋常ではないと感じていたが、やはり裏で金が支配していたんだな。

 組織委員会が素早く解散した時に「おやっ?」と思ったが、汚職発覚を見越していたんじゃないの? 

 今の日本は〝総括はしない・反省はしない・責任は取らない〟という不誠実な政治が続いている。だから何度でも同じようなことが繰り返され、それがまるで日常のようになり「またか」という気分を醸し出す。そして、前の不祥事を次の不祥事が上書きして、削除していくかのよう、虚しい。

 「あのことは忘れてほしい」と秘かに念じている政治家が多いことが、こんな不誠実な時代を作り、〝虚しさ〟の原因になっている。

 官僚の忖度に支えられていたあの政権の蕎麦屋メニュー〝モリカケ〟も忘れさられるのを待っているんだろう。苦しんで自死した方もいるというのに。

 「桜を見る会」も然り。郷里のお仲間・お友達・お芸能人?なんかも〝ご招待〟して招待主の大盤振る舞いのごとく毎年やっていたが、これ税金だよ。予算が1700万円余、これだけでも驚くが支出は2019年にはその3倍の5500万円余、これ私物化だよ。

 呼ばれた連中は首相との写真を競って撮って喜んでいたのだから〝桜を見る・お花見〟なんてものじゃない。相応の魂胆があって呼び、呼ばれていたのだろう。そういえば〝サクラ〟って偽の客という意味があるんだったな。

 この件の芸能人を含めた関係者も、忘れさられるのを待っているに違いない。

 二世問題が明るみになった宗教団体問題も、少しずつ報道が減ってきている。互いに持ちつ持たれつ、肩組み支えあっていたなんてことも、忘れてさってほしいんだろう。

 どうしたらいいのだろう。対抗手段は『忘れないこと』だ。

 忘れないために、こんな歌でも。

 

サッカーの神様『ペレ』が形容詞になった

 『競争闘争理論』というスポーツを解析するには珍しいイカツイ名前の本(ソルメディア発行)を読んだ。副題は、〝サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか〟である。

 『競争闘争理論』とは、まるで60年代の大学紛争時の看板文字のような言葉だ。しかし、著者は1992年生まれで、サッカーを愛し、日本のサッカーを前進させたいという思いにあふれた人物、河内一馬氏である。

 彼は18歳で選手生活を終了し指導者の道を歩き出す。23歳で海外15ケ国のサッカーに触れ、25歳でアルゼンチンの監督養成学校に入ってライセンスを取得したという。現在は鎌倉インターナショナルFCの監督。(このチームについては興味があり注目しているので、いつか取り上げたいと考えている)

 「なぜ日本のサッカーは世界で勝てないのか?」という思いからこの本は書かれている。海外に出て日本と違うサッカー体験をしたことにより思い至ったことも多い。しかし、「技術が、体力が、精神力が・・・」といった、よくある役に立たない言説ではない。

 サッカー、あるいはスポーツを独自に論理的に分類し、その上での指導の違いに迫ろうとしたものである。サッカー専門書物を読むことが私はあまりない。しかし、おそらくこの観点での指摘は今までにほとんどなかったのではなかろうか。その点で、面白い本だ。ただし、誰もがそう感じるかは別問題であるが。

 彼は、スポーツを「競争」と「闘争」の二種類に分類する。「競争」は、異なる空間、異なる時間で優劣を争い、相手を妨害しないもの。「闘争」は同じ空間、同じ時間で優劣を争い、相手を妨害することが許されているもの。このように定義した。そして、それぞれの分野を、さらに「個人」と「団体」に分類する。※この点では、私は「闘争」ではなく「攻防」、または「攻防入り乱れる」という言葉で表している。その方が良いと考える。

 彼は日本がトップに君臨しているスポーツとして「柔道等武道全般、スキー等ウィンタースポーツ全般、競泳全般、野球、フィギュアスケート、マラソン、卓球、体操、レスリング、バドミントン、ソフトボール、アーティスティックスイミング、テニス、ボクシング、スケートボード等」を挙げ、そうでないスポーツとして「サッカー、ハンドボール、ホッケー、水球、バスケットボール等」を挙げている。そして、これら世界で勝てないスポーツは、どれも「闘争」の分野の「団体闘争」だと説くのだ。

 さらに、日本では「闘争」の指導を「競争」の指導で行うという間違いがあり、そのために世界で勝てないと指摘している。これは確かに当たっているのではないか。私の提唱するバスケ指導(やんちゃバスケ)と重なるところがある説だ。勿論、違うところはあるが。

 相手に妨害されない場面で技術獲得を目指す練習をし、その後で防御をつけての練習に入る、これが、とかく日本でみられる指導だ。河内氏が「競争」の指導と言っている点だ。こういった指導が習慣的に日本で繰り返されてきたのは、スポーツは常に文化・風習・社会という基盤の上にあるからだ。

 勝てない「団体闘争」で例外なのは、2015年ラグビー・W杯での対南アフリカに勝利と、2021年東京五輪での女子バスケの銀メダルだという。共通するのはエディ・ジョーンズとトム・ホーバスという日本人以外の指導者が、今までの日本人的ゲーム感覚・スポーツに対する考えや姿勢等を排除した結果だと考えている。

 このことで気づくのは、前提の違いだ。サッカーとは何かをサッカー大国に問えば「サッカーはサッカーである」であり、つまり〝知っているが知っていることを意識していない、行っているが自覚していない〟という状態なのだ。だが、日本人にとってサッカーとは何かは〝まず学んで、理解していく〟状況なのだ。この前提の違いだ。

 今日(4/28)の新聞の片隅で、ブラジルの辞書に、「サッカーの神様『ペレ』が形容詞として追加された」という小さな記事を見つけた。「別格の」「無比の」という意味を持ち、比類のない人物を表す形容詞になったという。日本では考えられないだろう、これがこの違いだ。

コロナを まだ考える

 コロナの扱いが変わり、安心していいような、まだまだ注意をした方がいいような、そんな暮らしの日々になりました。感染者数も現在はどのくらい正確なのか、前の日常に近づきつつも高齢者のリスクは変わらないとか、あの時の医療現場の叫びを忘れて前に進んでいいのだろうかとか、いろいろ思うことがあります。

 先ずは、昨年末に感染した私の場合の経過を。

 職場で濃厚接触者となった同居の子が、陽性判明し自宅療養になりました。

 我が家の対策として、 食事は別にし、『互いに会わないよう にしよう』と、トイレや洗面所への移動は互いに『ラインで連絡してから』にしました。消毒液を配置しドアノブ・スイッチ・窓・蛇口等はその都度消毒、そして換気し、洗濯・ごみ箱は別々に・・・など、できる限りの注意を考えました。感染した子に会わずに過ごしていましたが、それでも私は3日後に陽性になりました。

 残った妻だけが頼りになってしまい、食事を各部屋にウーバーイーツ(?)のごとく運んでくれました。大感謝です。ジョークで   “ 婆婆イーツ ”  と名付けてしまいましたが、ゴメンナサイ。食事は テレビ番組の  “ 孤独のグルメ ”  みたいになってしまいました。

 心配した通り、やがて妻も陽性になりました。全員感染はやはり大変でした。

 若い人は自力での回復を待つのだそうで、医療・公共機関からは何の連絡もありませんでした。

 私たち高齢者は、医師からの連絡でフォローアップセンターから電話があり、アプリを使って、日々の体温や状況を報告します。この時点では少し安心になりました。ただし、電話での聞き取りは妻には一度あっただけでした。

 私は咳と息苦しさに耐えられなくなり、入院準備をしてフォローアップセンターへ連絡しました。その症状を聞いて、この段階から対応が保健所扱いに代わりました。入院を希望しその旨お話ししましたが、残念ながらさせてもらえずここからはとても不安で焦りました。入院の可否は、診ていただいている医師の判断ではなく、保健所が私との電話の話だけで決めるのですね。

 医師からは酸素数値が93以下になったら救急車を呼ぶように言われました。保健所で決められた通り手続きを進めていくより、救急車を呼ぶ方が入院できるらしいのです。

 配られていた市報には、感染者には酸素測定のパルスオキシメーターを貸与すると書かれていたので、保健所に依頼しましたが、「届くのに2、3日かかり。発症から1週間で返却だから今から送ってもすぐ返却になるので無理」と言われました。ええ! 話が違う・・・。

 やむなく喘息の子がいる家に依頼し、使っているものを至急届けてもらいました。苦しいときの数値は91、92になりましたが、保健所の対応は「深呼吸しなさい、姿勢を変えなさい、他の指に変えて測り直しなさい」との指示でした。

 辛いまま過ごし、何度もお願いしましたが、保健所対応は1週間で打ち切られました。症状が続いて苦しくても、対応は1週間、それが決まりだそうです。見放されたんだ・・・とその時感じました。

 保健所の職員さんも多忙でさぞや大変なのだろうと思いました。対応できる病院もベッドも少ないのだろうと思いました。そして、その背景には、ここに経費をかけたくないというどこかの意思があるようにも思いました。

 後は自分で、と言われて、立つのも辛い状態でしたが、何とか自転車で医者まで行き、屋外(感染者のため)で診察していただきました。呼吸に雑音があり肺炎とのことです。飲み薬と吸入薬を処方されて、この吸入薬が効いたのかやっと少しずつ楽になりました。

 3週間を越えた頃、まだ咳が出るので薬と吸入を続けながら、症状のアップダウンはありますが、良い方に向かい始めてホッとしました。

 前の日常に戻るまでは、2か月くらいかかったでしょうか。その後も体力の減退を感じ、疲労感、倦怠感はしばらく続きました。寝たきり状態は、こんなことがきっかけにもなるのかなとビクッとしました。 

 後日ですが、感染された友人や知人からいただいたアドバイスは、保健所や医師には、大袈裟に話すことだそうです。確かに、電話対応の保健所は、「あなたはお元気そうですね。」と声だけで判断されましたから。

 救急車は何回かけても通じなかったという話も聞いています。何しろかけ続けなさいと言われました。ただし、救急車に乗れても、病院に行く途中で数値が変わって、家に引き戻されることもあったらしいです。

 自分の経験と感染した他の方のお話から考えたのは、次のようなことです。

●自宅療養には限界があります。(大きな邸宅ならできるのかもしれませんが。)  

●同居人はほぼ感染するでしょう。高齢者がいる場合は、感染者が若くてもホテル療養等を認めるべきではないかと思いました。   

●保健所等の対応は最終的に放置になるようです。年齢関係なく急変時は大変不安で、一人住まいだったらなおさらです。 

 ●私の住んでいる所は保健所がなくなり、今は5市に共同で一つしかありません。管轄はとてつもなく広域です。何故減らしていくのでしょうか。

●保健所の対応はこの政策からきていて、保健所職員の問題ではありません。

●「高齢者は優先に対応」という事前のお知らせもは、信じられなくなりました。  

●一過性のものではなく常に医療体制を充実させる施策が必要です。  

 コロナは個人差があり、今は軽く済む人が多いかもしれません、以前より感染者が減っているのかもしれません。しかし、コロナにはなるもんじゃありません。それが今回の経験からの実感です。皆さんも、お気をつけて。

「一生勝負」 ( マスターズ・オブ・ライフ ) 加齢なる決戦

 文芸春秋社のこの本の題名はこのようにギラギラと迫力があるのだが、読めばゆったりとした気分になり、自分も何かしたくなる本だ。

 〝マスターズ・オブ・ライフ〟が副題で、中高年のスポーツ競技大会参加者を取材し、〝スポーツ・グラフィック・ナンバー〟という雑誌に連載されていたものを編集したものだ。実は私の近所にバレーチームに所属する80歳のアタッカーがいて、その方についても書かれている関係でこの本に出会えたのだった。

 読んで驚いた!

 書かれていたのは中高年どころではない、70代80代の高齢者のスポーツマン・スポーツウーマンなのだ。しかも、種目が多岐にわたっていて、スポーツを年齢に応じマイペースで楽しみ、さらにそこにはユーモアもあるのだ。余裕を持ってスポーツを心と体で楽しんでいる様子が伝わってきた。

 その方々から何人かをご紹介したい。

 走り幅跳び出場の女性(77歳・・年齢はどなたも出版時)は、本番前の試技もウォーミングアップもしないと言う。怪我をするからだそうだ! ええ? あっそうか、ナルホドと、私は吹き出してしまった。それだけではない、実は怪我をするから練習もしないとのこと、ここまでくればたいしたものだ。何故走り幅跳びを選んだかと言うと、100mや200mは長過ぎて苦しい、20mほどの助走ならいいだろうと考えた。そして、幅跳びは風に乗るのが楽しいと、本番一発の幅跳びを一番楽しんでいた選手だそうだ。

 水泳のスローガンは〝タイムよりマイペース、ゆうゆう大きなストローク〟だという。平泳ぎの女性(86歳)は「リズムで吐くから水の方が呼吸をしやすい」と言う。ドル平指導の水泳を思い出した。泳いでいると一人になれるのが良いところで、高齢になると、去年と同じタイムなら記録が伸びていることになるそうだ。たしかにそうだ。

 若い頃はほとんど勝ったことがないという柔道の男性(81歳)は、技のキレがなかったからだそうだ。ところが年を取ると皆、技のキレがなくなるので同じになると言う。そう言えば私がシニアのバスケ大会に出場した時に、東京オリンピック(1964年)日本代表だった方が他県チームにいた。その方も高齢になっていたので、私たちとスピードもプレイも同じだと感じたこととよく似ている。

 また、若い時に力ずくで投げていたのが、崩す技に変わり、これが柔道の本質だと感じたそうだ。心掛けているのは、怪我をしない・させない、いい技をかけられたら潔く投げられること、私も賛成だ。頑健な若者が勝敗を競ってガンガンやる時のスポーツと、高齢者がいつまでも楽しむスポーツは違って良い。バスケのシニア大会でもファウルまがいで接触してくる危ないプレイヤーがいたが、その時に同じことを感じていたものだ。

 体操の女性(71歳)は、非日常の動きをして得意げになることが原点だと言う。たしかに歴史的に見ても、非日常の動きをコントロールして喜んだり自慢しあったりするのは、体操競技の誕生から続いている本質だ。そして通常は、体力の限界で引退するが、高齢になると、現役に戻ることで体力をつけると語る。そうですよね。

 フェンシングの男性(73歳)は「杖の代わりに私は剣を持つ」という意気込みだ。その他紹介されていた方の種目は、背泳ぎ、野球、ボート、サッカー、ウェイトリフティング、ソフトボール、空手、スポーツクライミング砲丸投げ馬術、テニス、ライフル射撃、卓球、アーチェリー、バドミントン、棒高跳び、100m、マラソンで、それぞれの話がユニ-クで実に楽しかった。

 題名の「一生勝負」は、スポーツも人生も「一発勝負」ではない、人生経験が基礎体力なのだ・・・等の気持ちが込められている。読みながら、スポーツとは何かを、また考えることができた。

 スポーツは、若者だけのものではなく、選手だけのものでもなく、勝者だけが楽しむものでもない。学校の体育で、もし苦手な子がいたら、授業者が体育の授業を楽しくできる示唆、苦手な子も楽しく楽にスポーツと向き合えるヒントがここにもあるようだった。