仮面ライター

激高仮面改め、仮面ライター。ライダーではありません。仮面のライター(writer)です。

サッカーW杯 ・ 試合以外で心に残ったこと

 カタールでのサッカー・ワールド杯(昨年12月)はアルゼンチンが優勝し、大盛り上がりのうちに幕を閉じた。ベスト8に届かなかった日本は若い選手の活躍で強豪ドイツ、スペインに勝つなどの健闘がサポーターの歓喜を呼んだ。さて、月日を経て今回は勝敗以外で心に残ったことを。

 ご存じのように、この大会のための競技場建設で他国の労働者が酷暑、酷使で6500人も亡くなった。このことがスポーツウォッシュングされて、忘れ去ってしまってはいけない。FIFA(国際サッカー連盟)の言及を見聞きしていないが、あったのだろうか?

 参加国の選手役員からの意見表明も足らない。済んでしまえば・・・は、内容は違うが東京五輪汚職と同じ構造だ。真摯な総括なしでは、過ちの繰り返しが連続的に起こるだろう。

 優勝国賞金は4200万ドル(約58億8000万円)、準優勝国は3000万ドル(約42億円)だ。そこで驚いたのは大谷翔平。来季年俸が3000万ドルだからフランスの得た賞金と同じだったこと。大谷ってスゲエ!

 振る舞いで気になったことがある。フランスのマクロン大統領 は、顔出し過ぎだった。貴賓席での興奮ぶりにイエローカード! 試合後のピッチでのパフォーマンスと、ロッカールームでの演説にもイエロー、だから蓄積のレッドカードで退場だ! 政治家がW杯でここまでするとね。

 最優秀ゴールキーパーはアルゼンチンのエミリアーノ・マルチネス選手。授賞式で金色のキーパーグローブのトロフィーを股間に当てての悪ふざけ。これはレッドカード、一発退場だ。

 サッカーは迫力のある素晴らしいスポーツだが、痛がりパフォーマンスが多過ぎないか。プレイ中に接触した時に相手選手のファウルをアピールしてのものだが、一流選手の演技ならば余計に残念。今回は目立たなかったが、ネイマール選手の転び方の上手い(?)こと、少年サッカーでは誰かが「ネイマール!」と叫ぶとみんなで転がりまわる遊びがあるほどだ。

 森保監督は語る時に「国民の皆さん」と言う。「サポーターの皆さん」「ファンの皆さん」「日本の皆さん」ではない彼のこの言葉に、どんな意図があるかを考えている。

 話題になったのはABEMAでの本田圭佑氏の解説。状況が変わってもブレない、正直な自身の言葉が良かった。元選手がよくする先輩面の上から目線がないどころか、選手を「さん」づけで呼んだのは、当たり前だったが新鮮だった。近頃のアナウンサーや解説者の喋り過ぎのスポーツ中継が、こんな機会に変わっていってほしい。

 話題にならなかったのは大会テーマ曲だがNHKの『Stardom』(King Gnu)が良かった。

 「あと一歩  ここからあと一歩 ココロが草臥れた足を走らせる あの日の悪夢を 断ち切ったならば スポットライトに何度でも手を伸ばし続けるから・・♪」 

 スポーツ応援ソングではアテネ五輪の『栄光の架橋』(ゆず)という名曲がある。

 「誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある だから迷わずにすすめばいい 栄光の架橋へと・・♪」

 この歌も好きだが、『Stardom』 にはきれいに語り過ぎずに、スポーツの現実に近い、泥にまみれた感がある。苦節何年努力して成し遂げた・・・、といったありふれた内容ではないところだ。ボーカルのファルセットが聞き取りにくいことはあるのだけれど。           

「古希宣言」を聴いてみませんか?

 よく言われているが後期高齢者とは変な名づけだ。まあ、“あなたはかなり年齢を重ねましたね”  ということを表しているのだろう。

 この言葉を嫌ってか、“高貴”高齢者と自称する方々がいる。それなら未知のことに興味を持ち続ける“好奇”高齢者はいかが。それとも“幸季”、いや“幸喜”か、己を耕す“耕己”も良いか、“光輝”でも・・・、いずれにせよ言葉遊びだ。

 年齢を重ねると祝い事をする風習がある。60才なら還暦祝い、70才なら古希祝いという具合だ。120才は大還暦と言うそうだ。還暦の2倍だからこう言うのだろう。大還暦でお祝いされるのはすごい! 今まであったのかもしれないし、将来は何人もの方がお祝いされるのかもしれない。

 「古希宣言」という楽しい替え歌をご紹介しよう。還暦、古希以外の大還暦までの呼び方も出てくるはずだ。どうぞ、よろしかったらご視聴を!

 

国枝慎吾,フェデラー,セリーナ・ウィリアムスの引退の言葉

「最後まで世界1位のままでの引退は、カッコつけすぎと言われるかもしれませんが、許してください。」(2023年1月) 

 こう言って国枝慎吾選手が引退を表明した。国枝選手なら誰でもご存じだろう、テニスのグランドスラム(全豪・全仏・全米オープンウィンブルドン)車いす部門でシングルス・ダブルス計50回の男子歴代最多優勝、生涯グランドスラム達成、パラリンピック5大会連続出場と金メダル4個獲得など圧倒的な記録を残している。

 ほんの少し前まではパラスポーツは、記事の扱いがスポーツ面ではなく社会面が多く、健常者のスポーツとは違う目で見られていた。そんな日本での扱いに変化を生じさせていったのは彼だったと思う。2009年25歳の時に、当時は考えられなかった障害者スポーツでのプロ転向をしたのは、パラスポーツの普及・発展という意図もあっただろう。

 車いすテニスは2バウンドまでの返球で良いのだが、彼は素早いチェアワークにより1バウンドで返球するなど、その技術と体力で目を見張るゲームを続けて大活躍した。彼が道を切り開き、(まだまだ十分ではないが)パラスポーツの環境や文化を変え、人々に(パラ)スポーツの楽しさと習慣を与え、多くのアスリート、プロスポーツ選手も生んでいった。

 ある時、記者がロジャー・フェデラーに「日本に何故あなたのような選手が出ないのか」と尋ねると、「日本にはシンゴ(国枝)がいるじゃないか」と答えたというエピソードが伝わっている。

 そのフェデラーも2022年9月に引退表明した。ナダルジョコビッチ、マリーとともにBIG4と呼ばれ、グランドスラム優勝20勝、237週連続世界ランキング1位等ここに書ききれないほどの記録を残しただけでなく、コート内外の紳士と言われ惜しまれての引退だ。その引退セレモニーでこんな言葉を語った。

 「みんなここにいる、息子も娘も。妻はとても協力的だった。妻はずっと前に僕をやめさせられたが、そうしなかった。彼女は僕を前進させ続け、プレーするのを許してくれた。素晴らしいことだ。ありがとう。これで完全に終わるわけではない。人生は続いていく。僕は健康で、幸せで、すべてが素晴らしい。」

 同じ2022年に、女子ではセリーナ・ウィリアムスが引退を“示唆”している。姉ビーナスとともにパワーテニスを持ち込み、シングルス・ダブルスでキャリアグランドスラムを達成した唯一の選手である。生涯獲得賞金は8000万ドル、史上最強選手と言われている。彼女が引退を示唆した時の言葉は男女の差だった。

 「私はテニスと家族のどちらかを選ぶなんてしたくなかった。フェアじゃないと思う。もし、私が男ならこんなことは書いていない。」(米ファッション誌VOGUE) 

 家庭のことを妻にまかせてプレーに専念する男性との差についての言及である。フェデラーには悪いのだが、どうしても前述の彼の言葉も思い出してしまう。これだけ偉大なキャリアを持つ選手セリーナでも、男女差を日々感じてのプレーが続いているという事実を突きつけたのだ。

保育園配置基準は後期高齢・・?

 現在、保育園では4~5歳児の保育士の配置基準は30人に一人だ。この配置基準が定められたのは1948年だ。0~3歳児の基準は何度か見直されてきているのだが、4~5歳児の基準は75年の間一度も変わっていない、つまり後期高齢者と同じなのだ。なんとまあ長い間、子育てに目を向けない政策が続いてきたのだろう。

 保育士一人が30人の幼児を見る、と考えただけでも心配、びっくりする。どんなに大変なことだろう。それを毎日毎日だ。預かる幼児も保護者の要求も多様化し、保育の仕事の多忙化がこんなに語られているのに改善されない。ああ、少子化は、実はこんな子育てに冷たい政治が根底にあるのが一因の一つではなかろうか。

 ここのところ、というかずっと前から少子化対策について国会で論議されている。が、本気さを感じてこなかった。今回、岸田政権は少子化対策を“最重要課題”と言い、何と“異次元”の対策をするそうだ。(やっと配置基準の見直しもあるようだが)

 内閣府のページには、「幼児教育や保育サービスの充実」「子供をもつことを希望する人のために、地域の特性に応じた寄り添い型の支援」「社会全体で子育て世帯を応援する」「子育て支援パスポート事業」等々が書かれている。これらのことをそのまますればいいのではないか。“異次元”などと声高に言わずともできることだ。

 子ども一人当たりいくらかを渡して「ほらこれで何とかしなさい」的な〝せこい〟施策ではなく、75年も続いている保育士の配置基準を先ず変えることが政治の仕事なのだ。

 歴代政権は、少子化は「国家存亡の危機」「国難」と叫び、2007年以来少子化対策担当大臣を設置し16年間で25人を任命している。さて、それで何が変わっただろうか? 

 この大臣は平均1年に満たず交代、軽い閣僚ポストなどと言われ女性が半数、これはこれで社会的性差の点で問題。さらに今年4月からは「こども家庭庁」の担当に変わるそうだ。スローガンを掲げたり声高にアピールしたり、そんなことでなく誠実な改善こそしてもらいたいことだ。

 〝待機児童が減った〟と言うが、実はその裏には残念ながら保育の一部に質の壊れがあった。子どもを思い、独自に保育士を増やして雇用していた自治体に対しては、国の設置基準に戻させて多くの保育児を入園させるという裏技が使われた。単に待機児童という数字を減らすためのものだ。

 職員の半分が保育士なら良いという認可外保育所を増やしたのも同様。近くに新設された保育園は、コンビニ店だった所だ。外から丸見えの窓には目隠しがされ、中に入ると暗い一室に幼児が密状態。元コンビニだから出入口のすぐ前は車が頻繁に通る。あまりに危ないので保護者から意見が出た時は、その後赤い工事用のコーンが置かれただけだった。

 その園にはベテラン保育士はあまり見当たらず園庭もない。今までの保育園との違いに奇異感を持った。これは、営利企業参入解禁、委託費の弾力運用という大規模規制緩和により、利益を求める株式会社やグループ企業が各地で保育園経営に乗り出したからだ。若い保育士ばかりの雇用による人件費の浮いた分を他に回すという経済界の思考も保育の質を壊してしまったのだ。

 総理、異次元でなくていい。子どもを大事にした誠意ある政治を。

ペッパーミル

 毎回視聴率が40%を超えたという。

 視聴率と言えばたいていは個人視聴率ではなく世帯視聴率なので大まかな予想しかできないが、WBC日本代表の全7試合を国民の半数近くが視聴していたと言えるのかもしれない。これはすごいことだ。

 圧倒的人気の大谷、合宿初日から参加したダルビッシユ、剛速球の佐々木、大会最多打点の吉田、攻守好走笑顔のヌートバー、心をつかむ采配の栗山監督、その他どの選手・コーチも個性を発揮した活躍で観客・視聴者を魅了したからだろう。今までの代表も素晴らしいゲームをして2度の優勝という結果を残した力のあるチームだったが、今回はどこか違ってきていた。

 それは何だろう。

 言われるのはダルビッシュのチーム作りへの貢献。率先してコミュニケーションをとってまとまりのある流れを作ったそうだ。メジャーリーグの大投手が若手ピッチャー陣に「教える」のではなく、教え・教わるという対等な立場で「学びあう」という位置づけで接したことがとても大きかったのではないか。

 プライドを背負った先輩ではなく対等な関係を、ダルビッシュは求めていたのだと思う。多分、今までとは違うブルペンダッグアウトの雰囲気になっていただろう。それは、プレイ以外の選手の集まりがたびたび露出されていたのでうかがえる。こんなに普段の様子が伝えられたのも初めてだろう。

 栗山監督がヌートバーを選出したことも大きい。明るく人懐こい彼の人柄をチームに溶け込めると見通していたに違いない。初対面での「たっちゃんTシャツ」披露は見事な演出だ。一気に歓迎ムードと親近感が生まれたのだから。

 この発案者が監督(?)と知り驚いた。今までの代表監督では多分発想できない感覚だろう。そして、試合開始での初打席の初球をセンター前に積極的に打ったヌートバーの打席は、何かが始まるぞというワクワク感を皆に持たせる大きなものだった。

 今までと違うもう一つは、悲壮感がなかったこと。

 ランナーが出ればあのペッパーミル騒ぎで、「勝たねば」という思いを「ワクワク感」が上書きしていた。見ていてもそれが伝わって同じ気持ちになった。

 ダルビッシュの「好不調を気にしても仕方ない、人生の方が大事だから。楽しいことをして美味しいものを食べてリラックスしてほしい。野球ぐらいで落ち込む必要はない。負けたら日本に帰れないというマインドで行ってほしくない。気負う必要はない。」という言葉も大きかった。今までの代表選手がいう言葉とは違うと感じたのだ。

 この頃日本のスポーツが変わってきていると感じていた。

 古いスポーツ界の因習を見直す動きが出てきたこと、さらに新しい種目がオリンピックに採用されるようになったことの影響がある。後者は東京五輪でのサーフィン・スケートボード・スポーツクライミング、パリ五輪でのブレイクダンスなどだ。これらは監督・先輩の強い指導の下の部活から離れての活動が、今までと違う練習雰囲気を形作っている。

 ただしまだ古い因習は捨てきれないことが多い。強い上下関係、体罰の残存だ。野球では丸刈りという風習。今までスポーツ界で一番保守的かもと思っていた野球が、今回のWBCで「おやっ」と思わせたのだ。下から変わるのではなく、プロという上から変わっていくのだろうかと、今は興味津々楽しみにしている。