激高仮面 ( げっこうかめん )

時々、激高して書く仮面ライター 

「一生勝負」 ( マスターズ・オブ・ライフ ) 加齢なる決戦

 文芸春秋社のこの本の題名はこのようにギラギラと迫力があるのだが、読めばゆったりとした気分になり、自分も何かしたくなる本だ。

 〝マスターズ・オブ・ライフ〟が副題で、中高年のスポーツ競技大会参加者を取材し、〝スポーツ・グラフィック・ナンバー〟という雑誌に連載されていたものを編集したものだ。実は私の近所にバレーチームに所属する80歳のアタッカーがいて、その方についても書かれている関係でこの本に出会えたのだった。

 読んで驚いた!

 書かれていたのは中高年どころではない、70代80代の高齢者のスポーツマン・スポーツウーマンなのだ。しかも、種目が多岐にわたっていて、スポーツを年齢に応じマイペースで楽しみ、さらにそこにはユーモアもあるのだ。余裕を持ってスポーツを心と体で楽しんでいる様子が伝わってきた。

 その方々から何人かをご紹介したい。

 走り幅跳び出場の女性(77歳・・年齢はどなたも出版時)は、本番前の試技もウォーミングアップもしないと言う。怪我をするからだそうだ! ええ? あっそうか、ナルホドと、私は吹き出してしまった。それだけではない、実は怪我をするから練習もしないとのこと、ここまでくればたいしたものだ。何故走り幅跳びを選んだかと言うと、100mや200mは長過ぎて苦しい、20mほどの助走ならいいだろうと考えた。そして、幅跳びは風に乗るのが楽しいと、本番一発の幅跳びを一番楽しんでいた選手だそうだ。

 水泳のスローガンは〝タイムよりマイペース、ゆうゆう大きなストローク〟だという。平泳ぎの女性(86歳)は「リズムで吐くから水の方が呼吸をしやすい」と言う。ドル平指導の水泳を思い出した。泳いでいると一人になれるのが良いところで、高齢になると、去年と同じタイムなら記録が伸びていることになるそうだ。たしかにそうだ。

 若い頃はほとんど勝ったことがないという柔道の男性(81歳)は、技のキレがなかったからだそうだ。ところが年を取ると皆、技のキレがなくなるので同じになると言う。そう言えば私がシニアのバスケ大会に出場した時に、東京オリンピック(1964年)日本代表だった方が他県チームにいた。その方も高齢になっていたので、私たちとスピードもプレイも同じだと感じたこととよく似ている。

 また、若い時に力ずくで投げていたのが、崩す技に変わり、これが柔道の本質だと感じたそうだ。心掛けているのは、怪我をしない・させない、いい技をかけられたら潔く投げられること、私も賛成だ。頑健な若者が勝敗を競ってガンガンやる時のスポーツと、高齢者がいつまでも楽しむスポーツは違って良い。バスケのシニア大会でもファウルまがいで接触してくる危ないプレイヤーがいたが、その時に同じことを感じていたものだ。

 体操の女性(71歳)は、非日常の動きをして得意げになることが原点だと言う。たしかに歴史的に見ても、非日常の動きをコントロールして喜んだり自慢しあったりするのは、体操競技の誕生から続いている本質だ。そして通常は、体力の限界で引退するが、高齢になると、現役に戻ることで体力をつけると語る。そうですよね。

 フェンシングの男性(73歳)は「杖の代わりに私は剣を持つ」という意気込みだ。その他紹介されていた方の種目は、背泳ぎ、野球、ボート、サッカー、ウェイトリフティング、ソフトボール、空手、スポーツクライミング砲丸投げ馬術、テニス、ライフル射撃、卓球、アーチェリー、バドミントン、棒高跳び、100m、マラソンで、それぞれの話がユニ-クで実に楽しかった。

 題名の「一生勝負」は、スポーツも人生も「一発勝負」ではない、人生経験が基礎体力なのだ・・・等の気持ちが込められている。読みながら、スポーツとは何かを、また考えることができた。

 スポーツは、若者だけのものではなく、選手だけのものでもなく、勝者だけが楽しむものでもない。学校の体育で、もし苦手な子がいたら、授業者が体育の授業を楽しくできる示唆、苦手な子も楽しく楽にスポーツと向き合えるヒントがここにもあるようだった。