激高仮面 ( げっこうかめん )

時々、激高して書く仮面ライター 

ハガキの名文コンクール

 これはコスパがいい!と思った。63円で100万円がもらえるというのだから。63円とはハガキ代だ。それだけの出費で、当選すれば100万円の大金がもらえるらしいのだ。面白半分、だが100万円につられて意欲は十分だ。ハガキの名文コンクールというのを見つけたのだ。

 勿論、本気で100万円なんて考えられないが、おもしろそうだ。別に「名文」と思って応募するわけじゃないから気は楽だし、賞金目当てという邪心なので、〝自信満々〟ではなく〝邪心満々!〟だ。

 奈良県御所(ござ)市に一言主(ひとことぬし)神社があるという。古事記日本書紀にも記述がある由緒ある神社で、ここの神様は一言の願いであれば何でも叶えてくれるというのだ。1枚のはがきに 1 つの願いを書いて、神社近くの郵便名柄館に送るのがこのコンクールのルールで、選者はあの五木寛之氏等だ。ありがたいことに、一言主神社宛の願いは神社で祈祷していただける。しかも五木氏が私の迷文を読んでくれるなんて、それだけでいい。

 さあて、私の一言の願いは何だろう?と考えた。 皆さんならどんな願い事をするのだろうか。

 前年の大賞(100 万円)は福岡県の51才の女性だ。

 「お父さん、6月13日のレシート捨てれないの。だってこの日は、入院の知らせがあった日でお父さんの体調も知らず呑気に夕飯の買い物をした最後の日だから。私 このレシートの時間に戻りたい。そしたら子供達と一緒に飛行機に飛び乗って会いに行けるもの。この時は、お父さん生きていたでしょ。十日で逝ってしまうなんて思わなかった。このレシート捨てれない。 お父さんの時間と私の人生の重なった部分への切符みたいで。会いたいよ。」

 心にグッときた。これは大賞だ。レベルの高いコンクールだと知った。今更ながらだが。しかし、こんなに心からの文章は書けない。 何しろ私は「激高仮面」のライターを名乗っているくらいなのだから。ええい、ままよ とばかりに書いて送った。

 それが、〝ジャンプがしたい〟というどうでも良い変な願いだ。変な願いが良かったのだろうか、応募27000 通から最終候補の 131 に選ばれたと連絡が来た。 ジャーン! 大賞100万円獲得!……

 と、ここでこう書けたら、激高仮面の株が上がりますねえ。残念ながら (でもないか)、候補どまりで入賞はしなかった。でも、ご褒美に私の文も掲載された本『ハガキの名文コンクール第5回優秀作品集』(NHK出版)をいただいた。

 小学生の時、私は作文が苦手だった。忘れもしない、1年生の時の初めての授業参観は作文の授業だった。優しい女性の先生が、今日は「文を作って書きなさい」とおっしゃった。まだ、素直でぼうっとして育った私は〝作文〟というものを知らなかったし、この「文を作る」の意味がわからなかった。「文を作る」という言葉に引っかかり、授業の大半の時間を考え続けて「文を作った」。つまりお話(物語)を作ったのだ!? すごく集中してお話を考えて書いたからか、今でもこの時の戸惑いと必死な時間を覚えているのだ。

 高学年の担任は、綴り方教育で有名だった無着成恭氏と日本作文の会というのを立ち上げた熱心な先生だった。そして毎日、日記を書いて一週間ごとに提出するように言われた。これが苦痛だった。私は提出前日に一週間分を思い出しながらごまかすように数行だけやっと書いて提出していた。表現の上手な友達の日記は取り上げられて紹介されたが、私の数行の日記は一目見て、一週間分をためて書いたものとすぐわかるものだったから先生のお目には留まらない対象外だった。

 それでも一度だけ、母の日の作文 が全国の作文の中から選ばれて、NHK のラジオ放送で読まれたことがあったが、ラジオを聞きながらそれほど嬉しくもなく、書くのは相変わらず苦手だった。

 書く苦痛がなくなったのは、高校か大学からだ。高校生時代にバスケに熱中して体を壊し長く療養生活をした時に本ばかり読んでいたことと、読書家の友人と親しくなり3人で交換日記ならぬ交換読書感想文や、文通をたびたびしていたことが影響したと思う。それは、友人の文章のレベルの高さに気付き驚いた頃だ。

 私が良い文章だな、上手だなと思うのは、正直で、心に刺さる文だ。「へえ、そうなの」と読み進めるものより、少し毒のある文の方が好きだ。逆に、書きたくない文章は、毒にも薬にもならない文、忖度文、ことさらの難文、漢語やカタカナ言葉で目を眩まそうとする文だ。 

 さて、この年のハガキの名文コンクールの大賞は、大阪の11才の男の子だった。この文を読むと、自分が入選しなかっことに大納得した。

 「うちの母さんは何でもぼくの教育につなげようとします。ありとあらゆる事がそうです。ぼくに楽しい事をさせてくれるのも勉強をビシバシやらせるための作戦だと思います。こんな母さんでも好きですが、何でも教育につなげる事は欠点だと思います。もっと教育とは関係なくたっぷりと好きな事をやらせてほしいです。もっともっと、夏休みでも、もっと自由になりたいです。この願いがかないますように。」

 この子が受賞後にコンクール事務局に送った手紙も本に掲載されていた。これまた正直な名文だった。 

 「書く」は人だけが持つ文化だ。続けたいと思う。