激高仮面 ( げっこうかめん )

時々、激高して書く仮面ライター 

バスケットの醍醐味   

  久しぶりに大興奮してバスケの試合を見た。そう、ワールドカップの日本の試合だ。バスケはジャイアントキリング(番狂わせ)が起きないスポーツだと言われている。だが世界ランキング36位の日本が、24位フィンランド、17位ベネズエラ、64位カーボベルデに勝ち、自力で48年ぶりのオリンピック出場を決めた。大歓喜!!! 

 バスケファンも、初めて試合を見た人もバスケの醍醐味を確かに感じ楽しんだはずだ。そのことが何と言っても嬉しい。この試合の放映局・時間を何人にも教えていたら、「興奮した」「こんなに面白いの!」中には「涙が出た」なんていうメールが届いた。サッカー、バレー、WBCなど日本が活躍しているチームスポーツがある。バスケも並んでいってほしい。

 大好きなバスケットだが、一昔前、私は日本のバスケは面白くないと思っていた。パスは胸から胸へのチェストパス、右にパスをしたら左に走って、センターポジションの選手はペイントゾーンのポストに立ち・・・等々。教えられた通りの決まりきった動きの連続。私はオジサン・バスケと呼んでいた。この原因、それは指導だ。

 子どもたちがバスケを学ぶのは学校、部活、地域のチームでだが、そこでは何年も何十年も、指導者が昔教えられた型通りの指導がなされていた。パスを教えて、ドリブルを教えて、シュートを教えて、さあゲームだ、やってごらん…こんな指導だ。ゲームをすれば、ほら右にパスして、ほらドリブルで進め、ほらシュートだ・・・こんな指導だ。どう? そんな指導場面を見てこなかったかな?

 ドリブルでかわそうとする選手には「ワンマンプレイはダメだ!」 ドリブルの股抜きなんかしようとでもすれば「カッコつけるな!」 ノールックパスには「基本のパスをしろ!」 こんな指導者の言葉を試合中に聞いたものだ。こうした指導者は大概「基本が大事」だと言うんだけれど、その“基本”の考え方を間違えていることに気が付いていないのだ。

 こうして練習を積んで上達し日本代表になるのだから、いつも同じ攻防、相手が変わってもそれしかできない・・・ということだ。若い発想がなくなったオジサンのバスケットになるのだ。

 学校体育ではこれに“教育”と言われる指導が加わる。「何ちゃんにもパスしてあげなよ」だ。こんな屈辱的な言葉を言われる子がいるのだ。友達を大事にする気持ちを持たせたいという教師の思いが子どもを辛くさせることに気付いていない。“温情パス”ではなく、その子が必要だというパスでなくてはいけない。その工夫(技術)を教えなくてはいけない。温情に頼るのはプロ教師ではない。

 こうなったのは何故か? そこには伝承の歴史が影響を与えたと私は考えている。人々の生活、社会、文化の中で生まれ育てられたサッカーなどの他のスポーツと違い、バスケットはジェイムズ・ネイスミスという一人の人物が考案した。彼はYMCAの教師だったこともあり日本にもYMCAを通じて伝わり広がっていった。

 YMCAはご存じのように、人格の向上・奉仕の精神等を図る全人教育を行う団体である。この真面目な教育はスポーツマンシップなどの純粋な心を高めただろう。これが日本の学校の真面目な教師により増幅され、より真面目なバスケになっていった。バスケが本来持つ奔放さ、相手との駆け引きなどの楽しさは影がうすくなり、日本型温情主義へと進んでいったのだ。

 違う発展をしたストリートバスケと比べると違いがわかる。相手との騙しあいを楽しみ、よりかっこよくシュートを決めることに重きをおく今のストリートバスケに発展したのだから。

 私はバスケはジャズだと主張してきた。ジャズは仲間との楽器によるやりとりにアドリブ、そこに独特の楽しさがある。バスケも自由な発想が技術を支え、味方とのコミュニケーション、相手との変幻自在なやりとりが楽しい。残念ながら賛同する人はなくバスケの研究会、分科会で“異端児”と言われていた。異端児なんて言葉は、議論できない時に相手を否定する際の常套手段なのだよ。

 ところが、今回のワールドカップのバスケを見てほしい。河村のノールックパス、変幻自在な比江島ステップ、まさかというほどの度肝を抜く富永のスリーポイント等々、次のプレイを予測できないワクワクを日本中の観戦者が興奮し楽しんだはずだ。決まりきったオジサンバスケは影ひとつない。“異端児”と言っていた皆さん、へへへ、今は逆転だぜ。

 沖縄アリーナには行けなかったが、監督・選手・スタッフの皆さんを心から応援した。そしてバスケの醍醐味を体いっぱい味わった。古希をとうに過ぎた私だが、またバスケをしたい、そんな気持ちになったワールドカップだった。