激高仮面 ( げっこうかめん )

時々、激高して書く仮面ライター 

堪忍袋の緒を切ろう

 もう、まずいのではないか・・・と、人知れず私はずっと考えている。人によっては「終わりの始まり」と言うが、私はもっと進んでいる「終わりの途中」ではないかと思う。途中、それは前半か後半かはまだわからない。何の終わりか、それは、地球の、世界の、日本の、である。

 生きたカエルを熱湯に突然入れれば飛び出してくるが、水に入れてから徐々に温度をあげていくと沸騰の危険を感じずにゆでられて死んでしまう。ご存じの方は多いだろう。ゆでガエル現象とかゆでガエルの法則とか言われるものだ。

 この現象を実験で検証する試みが19世紀ころからあった。加熱速度の違いによって、逃げ出せたり、逃げ出せなく死んでしまったり、だったようだ。だが、現代の科学的根拠からはどうやらこの現象は実在しない、生物学的にもないという。しかし、20代の頃にこの法則を知った私は長い間この法則を信じていた。そして、社会の出来事と人々の暮らし・生き方を考える時にしばしば当てはめて考えていた。わずかな変化でも見過ごして対応しない場合、やがてそこから出られなくなり、気がついた時には大きな不幸という現実の中にいることになる・・・そういう説話ととらえていた。

 ゆでガエル現象は起こらないとしても、実は今でも比喩として、大事な警句となるだろうと考える。何故なら、私たちは日本の、世界の、地球のぬるま湯が少しずつ加熱上昇している状況があるからだ。その変化を感じなくてはならない。今が、終わりの途中かもしれないからだ。

 地球の温暖化はそれこそ環境加熱だ。しかも加熱速度が速くなってきていることは年々感じられている。しかし私たち人類は、「まだ大丈夫だ、このくらいなら平気だ・・・」と有効なアクションを起こさずに、単に国ごとの数値目標を示すだけだ。人類全体での科学的思考の共有もされていない。それは声高の○○ファーストに消されているのが現状、地球の終わりに向かっている。

 領土をめぐる戦争も止めることができない。まるでゲームの画面のように他国の軍隊の攻撃を、ソファーに座りながら見ている私たち。軍事評論家の作戦予想を、どちらが優勢かと安全な場所から俯瞰して見ている私たち。反戦、非戦の声を挙げれば、平和ボケと呼ばれ、そんなことで戦争は終わらないさ、と説教までされる。次の大戦はどの国も敗者、世界の終わりかもしれないのに。

 日本の今はどうだ。深刻なのは政治家の堕落だ。22.9%しか指示していない政権が国のかじ取りをするという悲劇。国会では、まともに答えない、結論ありきの論議強行採決。「しっかり」「真摯に」「寄り添って」「丁寧に説明」「お答え差し控える」等のなんとなんと空しい響き。聞く力、異次元、火の玉になって等の嘘八百。あからさまになるのは金と保身。みっともない。日本は政治から崩れ、終わっていくようだ。

 こんな未来のない現況を変えようじゃないか。そこに自分らしいエネルギーを注ごうじゃないか。国税庁の力不足、裁判所の力不足、国会の力不足は見え見えだ。今はどこの政党支持云々より、まともでない輩をまず国会から追放しようではないか。それは国民の選挙でしかできないのだ。それは1票の集まりでしかできない、その1票を行使しよう。今までの自民党支持者の方々も、次の選挙では裏金脱税政党に投票するのはやめてください。日本を救い立て直す1票にしてください。

 1869年ドイツの生理学者フリードリッヒ・ゴルツは通常のカエルと脳を摘出したカエルで前述の実験をしたそうだ。通常の脳ありカエルは25℃で飛び出して無事、脳なしカエルはゆでられたという。大事なこの時、私たちはアクションのない脳なしカエルにならずに、地球、世界、日本に対して正しい判断を、損得・忖度・知己にとらわれないあなたの判断をしてください。

 私たちは不当な政治の扱われ方に今まであまりに我慢強かった。怒りを抑えて忍耐することが多かった。しかし、過ちを犯した政治家は、「悪かった、許してくれ」とも言わずにいるのだ。もう耐えるのは無理の状態だ。みんなで堪忍袋の緒を切ろう。